【写真31枚】震災で一部がバス路線になったドラゴンレール大船渡線の現在(宮城、岩手)
|岩手県の一関市から宮城県の気仙沼市を通り抜けて、再び岩手県の陸前高田市に入って三陸鉄道の起点である盛駅まで続く大船渡線という鉄道路線があります。路線が龍のようにクネクネ曲がっているので「ドラゴンレール大船渡線」とも呼ばれています。
この大船渡線は、気仙沼や陸前高田という東日本大震災の被害が大きかった地区を通っているので、ご多分に漏れず大きな被害を受けました。ついには鉄道路線での復旧を諦めて、一部はBRTといってバスで路線を運行しています。単に田舎で廃止になった鉄道の代わりにバスが走っているのとは少々事情が違うので、その辺りも含めてBRT区間に置き換わってしまった鉄道路線が今どうなっているのか?をレポートしたいと思います。
道路沿いに「駅」がある
大船渡線が走っている地区を車で走っていると、時々こんなバス停に出会います。バス停ですがJR東日本のロゴ。これは単なるバス停ではなく、大船渡線の駅です。BRT区間には、このようにJRの駅があります。
ここは小金沢駅です。大船渡線のどのあたりがBRT区間になっているかは、路線図を見るとよく分かります。
やはり沿岸部に大きな被害が出ていることがよく分かります。小金沢駅は左下のほうにありますね。
この大船渡線は何度も道路と交差しながら走っているので、踏切に何度も出会います。
「休止中」という大きな表示に、廃線好きはちょっと萌えてしまいます。
しかしまだ大船渡線のBRT区間は廃線になったわけではなく、あくまでも休止中です。
なお、この踏切は「第六気仙沼街道踏切」といいます。
すでに何も走っていない線路は、完全に錆びついています。
単線でこんな風光明媚なところを走る路線なので、往年はさぞや味のある風景だったことでしょう。
この辺りは線路の両側に桜があるようなので、これが満開となると絶景必至です。
今にも鉄道が入って来そうな無人駅
次は、駅を見に行ってみましょう。上鹿折駅の「跡」です。
駅に向かう案内看板も、しっかり健在です。
かつて鉄道が走っていた頃も無人駅だったので、小さな駅舎があるだけです。
切符を捨てられるようになっているのも、無人駅ならでは。
それでは、階段を上がってホームにも行ってみましょう。ワクワクしますね!
ホームに上がってみると、こんな感じです。
今にも鉄道が入って来そうなほど、まだまだ駅のオーラを放っています。
駅名表示も、まだまだ現役に見える状態。
上鹿折と書いて「かみししおり」と読むのも、なんだか味があります。
しかし、もうこの駅に鉄道が入ってくることはありません。
それでは、大船渡線と並走する道路から探訪を続けていきましょう。
また、踏切が見えてきました。今度の踏切は「第七気仙沼街道踏切」です。
踏切の状態は他とあまり変わりませんが、その両側の線路が大船渡線のこれからを物語っています。
線路が切れていますし、その上に木材を積み上げられた状態です。
もうこの大船渡線が完全に廃線へまっしぐらなのが伝わってきます。
踏切を過ぎて大船渡線と並走していくと、時折線路がすぐ隣にやってきます。
線路に立ってみると、なかなかいい風景ですね。線路は錆び錆びですが。
鉄橋も、いい感じで残っています。
本当にこれだけを見ると、いつ鉄道が走って来てもおかしくない気になります。
陸前矢作駅の「跡」と今の比較
続いて、陸前矢作駅も見に行ってみましょう。
駅舎は上鹿折駅と同じように、無人駅の小屋が残っています。
こちらも同じような作りになっているので、階段を上がってホームに行ってみましょう。
この陸前矢作駅も、まだまだ十分使えそうです。
奥に見えている山が雄大な風景を醸しているので、ここも鉄道が走っていたら絵になっていたことと思います。
駅名表示もキレイに残っているので、奥の山里風景と一緒にパチリ。
しかし、こちらの駅名表示は腐海に沈みかけています。廃墟を見ているといつも思いますが、植物のパワーは偉大です。
陸前矢作駅を出ると、左から合流してくる線路がありますね。車庫か何かあったのでしょうか。
先ほどの駅舎跡は現在、地元のコミュニティスペースのようになっています。
上鹿折駅は閉鎖されていたので、まだこちらのほうは人が多いのかも知れません。
その一方で、現役で利用されているBRTの陸前矢作駅です。こちらは現役の駅なので、しっかりメンテナンスもされていて快適です。
現役の路線は「アスファルトの線路」として復活
先ほどBRT区間の陸前矢作駅をご紹介しました。BRT区間の駅はほぼすべてがこんな感じになっているのですが、陸前高田市を終点の盛駅方面に進むと、とても珍しい風景に出くわします。
それは、「線路だった敷地がそのままアスファルトの線路になっている」という風景です。
これは盛駅ですが、この道路のようなところには線路がありました。それがそのままアスファルトで整備され、そこに鉄道ならぬバスが走っています。
では、そのアスファルトで生まれ変わった大船渡線の「線路」を見てみましょう。
一見するとただの道路ですが、交差点に行くとその正体が明らかになります。
バス専用道路なので入るべからず、とあります。
ここにはもともと線路が通っていたので、それをそのまま専用道路にして、そこにバスが走っているという寸法です。
アスファルトの線路から前を見ると、信号があります。
これは一般の道路と交差する地点です。
その交差点に近づいてみると、これまた特別な風景が。
普通、踏切と言えば道路側に遮断機が下りてきますが、ここではBRTの「線路」に遮断機が下りています。間違って車が入って来ないようにするためでしょう。
ところで、この写真の左には地震と津波ににやられた建物が痛々しく残っています。
ほとんど更地になった津波の被災地ですが、こうやって被害の凄まじさを物語るような廃墟も至るところにあります。
総括
ドラゴンレール大船渡線のことは、震災後に「復旧のメドが立っておらず、このままBRTに置き換えて廃線」というようなニュースで知っていました。今回東北に行くにあたって、三陸鉄道に乗るのが一番の目的だったのですが、そうなると必然的に大船渡線の近くを通ることになるので今がどうなっているのか興味がありました。
その興味は単なる廃線跡探訪のようなものだったのですが、原因が震災だけにBRT区間として運行するなど、とても特殊な「廃線跡」であることを目の当たりにすることとなりました。とても興味津々で探訪をしてきましたが、やはり震災の被害の大きさに絶句することもしばしばでした。