コザ吉原の風俗街跡と現役で営業中の微妙なスナック探訪レポート(沖縄・コザ)
|沖縄の2大風俗地帯として知られる、真栄原社交街とコザ吉原。真栄原社交街についてはすでに跡地探訪レポートがあるのでそちらを見ていただくとして、今回はもうひとつの風俗跡地であるコザ吉原を探訪してきました。真栄原社交街との違いは、今も営業しているスナックがあるという点です。完全な廃墟地帯ではなく微妙なスナックが点在していることもコザ吉原の見どころなので、それも含めてレポートします。
目次
コザ十字路から美里一丁目に入ると風俗街の跡地が出現
沖縄市の主要交差点である、コザ十字路。もともとこの辺りはコザという町だったので、それが交差点の名前にも残っています。まずはコザ十字路からコザ吉原を目指しましょう。
コザ十字路からすぐのところに、馬汁の店があります。今や何の目印もないですが、これがコザ吉原への入口です。
この馬汁の店がある角を左折すると、登り坂が見えてきます。この登り坂をせっせと登りましょう。
この登り坂の向こうに、意味深な建物がありますね。
この意味深な建物を目指します。
いよいよコザ吉原の跡地が出現
そう、これがかつて沖縄の2大風俗地帯の一角を成していたコザ吉原の跡地です。ここにあるドアがそれぞれの置屋で、このドアが開いているところで女たちが客を引いていました。
さらに近づいてみると、その独特の風景に往年の面影を見ることができます。
何でも5,000円くらいで遊べたそうで、それはもうリピーターにとってはパラダイスだったことでしょう。
しかし、今はもうこれらのドアが開くことはありません。
さらにどんどん廃墟を探訪していると、その荒れっぷりが目立ってきます。
沖縄は鉄筋コンクリートの建物が多いので、建物だけは健在です。
しかし、その中身はどこも空っぽ。
それでは、コザ吉原の夢の跡を見て回りましょう。
ここに写っている風俗跡地の店構えを注意深く見てみると・・・
コザ吉原が風俗地帯だった証拠を発見
18禁です。そりゃそうでしょう。
それは当然として、食品衛生の会員章と飲酒運転の注意書きがあるのがシュールだと感じてしまいました。
表向きは飲食店ですからね。
そして、コレです。真栄原社交街と同じように風俗営業をするための加盟証があります。東京の吉原にちなんだ地名であるコザ吉原ですが、加盟証のマークも「吉」です。「コ」ではないところが、ポイントです。
他の店跡にも、しっかりと加盟店の表示がありました。それにしても、きれいに看板が残っているものです。
コザ吉原は広いので、まだまだ探訪を続けましょう。
現役で営業中の微妙なスナック
時折、このように現役と思われる看板にも出くわします。
後述しますが、こういう表示がある店は現役で営業中です。
もちろん風俗営業ではなく、飲み屋さんです。
ここに見えている「ラッキー」や「えびす」は現役っぽく見えますが、営業している様子はありませんでした。
ということは、かつての風俗店かも知れません。
先ほどの「ラッキー」と「えびす」を見に行ってみると、こんな感じです。
これはさすがに現役ではないでしょう。
先ほど18歳未満は入店禁止という表示がありましたが、こちらは20歳未満が禁止です。
どっちが正解やねんw
それでは、まだまだ探訪を続けましょう。
これなんか、モロですよねぇ。
こういう沖縄らしい建物もちゃんとあります。こういう部分も真栄原社交街と似ていますね。
吉原自治会?なにそれ?
今も機能しているのかどうか分かりませんが、吉原自治会の建物もあります。
「新春の集い」という看板が見えます。この探訪をしたのは1月の中旬なので、まだ自治会は機能しているのかも知れません。
しかし、「吉原」という町はもうないわけで・・・。
この町が現役だった当時は、さぞや華やかだったことでしょう。
見ると切なくなる「ホステス募集」
当然ながら今はもう、「ホステスの募集」はありません。
このように、時々ドアが開いている店があります。
こういう店はスナックとして営業しているようですが、もしかするとコッソリ風俗斡旋もやってる?と思わせるような怪しさが漂っています。
さらに探訪を続けると、廃墟感が強くなってくるエリアもあります。
なんと風俗跡地が税理士事務所に!
コザ吉原で見つけた、シュールすぎる風景。
なんと風俗店の跡地が税理士事務所になっています!これはもう、ネタフリにしか見えませんw
こんなところにも?という狭い路地にもしっかりと風俗の跡地があります。
ごく普通の住宅地と混ぜこぜになっているのも、真栄原社交街と同じです。
「美里一丁目」という住所表示が見えますので、やはりここはコザ吉原なのです。
このスナック群は、いずれも営業中でした。
中からカラオケの歌声が聞こえてきましたので、スナックとして営業中です。それ以上のサービスがあるかどうかは・・・闇の中です。
先ほどのスナック群の隣には、風俗の跡地も。本当に現役と廃墟が入り混じっていることが分かります。
交差点の名前に残る「吉原」の名残
探訪を終えて大通りに出ると、交差点の名前が「吉原」。
先ほども述べましたが、このあたりの住所は沖縄市美里一丁目です。吉原なんていう地名はどこにもないので、コザ吉原の名残が交差点の名前にしっかりと残っているということですね。
以上、沖縄の2大風俗地帯の一角を成していたコザ吉原の跡地探訪レポートでした。
カメラを持って探訪をしていると、店の前に椅子を出して座っているオバちゃんに声を掛けられました。「遊びに来たの?」と聞かれたので風俗の跡地を撮影しに来たと伝えると、少し昔話を聞かせてくれました。
「あの頃は・・・」「昔は良かったけどね・・・」という話を聞くにつれ、コザ吉原が果たしてきた役割の大きさを感じたのでした。
もともとは米軍兵士を相手にしてきた町だったそうですが、途中から日本人が遊ぶ町になり、栄華を極めた時期もあったコザ吉原。真栄原社交街と同じく、廃墟を探訪していると何とも言えない寂しさに襲われたのですが、それは風俗街が持つ宿命のようなものかも知れません。
Googleマップで見ると エアコンの室外機が比較的新しかったり、店の前にごみが置いてあったりと(かなり新しい)人の気配があるね、特に電力メーターでスマートメーターが取り付けてあるものは契約が有るということになります。
コメントありがとうございます。
スナックとして営業している店や、住居として住んでいる人はいるみたいです。現地のおばぁが教えてくれました。
ただ、風俗街としてはほぼ壊滅しているそうです。