シューパロ湖の底に沈んだ大夕張の名残を求めて湖底を歩く(北海道・夕張市)

日本で初めて財政が破綻した町として知られる、北海道の夕張市。かつて炭鉱で栄えた町だけに、石炭産業がなくなったあとは人口が減少し、鉄道が続々と廃止され、街じゅうが廃墟だらけになるという有様です。今や夕張メロンくらいでしか「夕張」の名前を見聞きすることがないという人も多いと思います。
そんな夕張にはもうひとつ、目玉となるような巨大施設があります。それは、シューパロ湖です。ダム建設によってできあがった湖なので、シューパロダムとも呼ばれます。
ダムが建設されると、そこにあった町が水没・・・なんて話はしばしばあります。このシューパロ湖も規模の大きさゆえに、多くものを飲み込みました。今回紹介する大夕張も、そのひとつです。

最盛期には2万人以上が暮らしていた炭鉱都市・大夕張

炭鉱都市として栄えた夕張は、市内の各地に炭鉱がありました。大夕張と呼ばれた地区は三菱グループが開発した三菱南大夕張炭鉱があり、その炭鉱で働く人の町は大夕張と呼ばれていました。現役でありながら廃墟に見えてしまう夕張市役所は市内中心部にありますが、大夕張はそこから東の夕張川流域にあります。
位置関係は、こんな感じ。

左側の丸印が夕張市の中心部で、右側の丸印が大夕張です。夕張市の中心部、大夕張の両方には鉄道もありました。もちろん、今はどちらも廃線済みです。
それでは、大夕張地区の今をGoogleマップで見てみましょう。

旧鹿島小学校跡、白銀橋跡といったように、「〇〇跡」があることが分かります。これはすべて大夕張にあったもので、それぞれの位置に小学校や橋がありました。現在の国道452号が通っている東側にある川沿いの一帯が大夕張で、かつてはその大夕張を南北に貫くように旧国道452号が通っていました。この旧道は今も一部が残っています。
今ではシューパロ湖(シューパロダム)となっていますが、その底にはかつてあった大夕張ダムも水没しています。ダムが別のダムに飲み込まれるというのもあまり聞いたことないですが、そのことからもシューパロ湖の巨大さを感じさせられます。

大夕張の面影と最終目的地をGoogleマップで確認

大夕張付近をGoogleマップの航空写真に切り替えると、こんな感じになります。このあたりに「何かある」ことは一目瞭然です。住民が立ち退いた後で建物がすべて取り壊されているので更地があるのみですが、道路らしきものも確認できます。

現在の国道452号の右側を並行するように道路が見えます。これが国道452号で、現在はもちろん通行止めです。しかもこの旧道はシューパロダムに近づくにつれて水が多くなるので、途中で水没します。まだまだ現役で使えそうな道路が沈み込んでいく風景をどうしても見たくて、それが今回のシューパロ湖探訪の動機でした。ちなみに、その部分をGoogleマップでアップにすると、ここです。

丸印をつけた部分から先は、旧道が水没しています。その右下には旧白銀橋の上部分だけ見えています。ここを探訪の最終地点として、上の写真に入れた矢印のように北方面(ダムが浅くなっているところ)から探訪をしたいと思います。普段はこの探訪部分も大半が水没していますが、夏の渇水期にのみかつての大夕張が姿を現します。そのため、この探訪は2023年9月に行いました。

かつての大夕張をしのぶモニュメントたち

2つ前の写真で「鹿島眺望公園」と書かれている地点には、かつての大夕張にあった学校などをしのぶモニュメントがあります。ここはダムに水没しない高台なので、文字通り眺望スポットです。ちなみに鹿島というのは、かつてあった大夕張地区の地名です。
まずは、このモニュメントたちをチェックしていくことにしましょう。

町全体をしのぶモニュメントや、立ち退きとともに閉校した学校の記念碑などがあります。
大夕張のことを学べる立て看板もあります。

往年の貴重な写真や歴史的な情報も満載なので、これ1枚で大夕張のことをだいたい理解できます。私もここで知ったことがたくさんありました。真ん中にある大きな写真が全景ですが、これらすべてが今はダムの底です。

ヒグマにビビりながら大夕張の探索スタート

この付近はヒグマの目撃情報が多く、夕張市の公式サイトにもこの周辺での目撃情報がありました。大夕張地区に入る直前の現国道452号にもこんな看板が・・・

この探訪は9月なので、ほんの2か月前に彼が出没したようです。このイラストも結構怖い・・・
普段の生活で天敵を意識することはありませんが、ここには天敵がいます。とにかく会わないようにすること!と色々な情報にあったので、スマホのRajikoを音量最大にして、いざ現地へ。

ご覧のように、かなり強めの通行止めです。クルマだけでなく、バイクも入れません。うまく通れば入れるかもしれませんが、この先の状況を考えると徒歩以外は無理ゲーです。

すでに捨てられた道路なのでメンテナンスもされていませんが、今も現役で使えそうです。
なお、この時に奥から歩いてくる人がいました。先ほどの通行止め地点にもう1台駐車してあったので誰かいると思いましたが、そのクルマの持ち主でした。フル装備で熊鈴をカランカランと鳴らしながら歩いてきたので、やはり熊対策は必須のようです。少し聞いてみると、「ラジオの音でも有効」とのことなので、その言葉を信じて引き続きラジオ音量MAXで前に進みました。

旧国道452号から横に伸びる道路です。奥はダムになっていて、水没した木が立ち枯れになっています。
かつてはこの道の両側には家や商店があったようです。今は、基礎部分が残るのみです。こんな感じで建物の基礎部分があちこちに残っていたので、かなり多くの建物があったことはすぐに分かりました。

このあたりは夏以外ほぼ水没するので、木はすべて立ち枯れ。雑草だけが生える荒涼とした風景になります。
ここも両側にたくさんの基礎部分があったので、商店街のように栄えていた場所だったのかもしれません。

至るところに「人の営み」の名残が

今はダムの底に沈んだ大夕張には、至るところに「人の営み」を感じさせる風景があります。時代を感じさせるものもあったりで、なかなか興味深いです。
ここでは階段を見つけることができました。以後、どこにも階段はなかったので、唯一の生き残りです。

この鉄パイプは、地中に埋められていた水道管?下水管?だと思います。水の力で湖底の地形が変わって現れたのでしょう。

「ツバメ学生服」、こんなに文字がはっきりと分かる広告物はほとんど見かけなかったので、これも貴重な遺構です。

ここまではおそらく、かつての千年町です。
さらにゴールを目指して、前に進みましょう。

「キリ助」登場

先ほどの千年町から、旧国道452号に戻ります。このように道は今にもクルマが走って来そうな雰囲気です。
しかし今では全面通行止めなので、クルマが入って来ることはありません。

この道をさらに進むと、妙なモノが見えてきます。
これです、「キリ助」です。

見ての通り、キリンを思わせるドラム缶のオブジェ。「助」という名前なので、男の子という設定なのでしょう。
以前は別の場所にあったものを水没しないように移設したり、一度は取れてしまった首を修理したりと、さまざまなストーリーがあるそうです。
ネットの拾いものですが、大夕張の現役時代のキリ助はこんな姿だったそうな。

引用元:テレビ松本「宝町、千年町、明石町」

「ようこそ 大夕張 鹿島へ」の看板が、どこか寂しげに見えてしまいます。キリ助の首は今と違うようですが、まさかキリ助もこんな大夕張の姿を見ることになるとは思っていなかったことでしょう。今となっては、ただ一人残った大夕張の住人です。
この千年町は比較的遺構が残ってるのか、こんな看板もありました。

もうクルマが通ることもないのに交通安全も何もないんですが、この先の道路がこんな状況なので、徒歩の探訪でも交通安全重要です。それよりも依然としてヒグマが怖い状況ですが。

何となくですが、道路が崩落しているところに近づかないようにガレキや流木が置かれています。ダムの職員が何となく管理をしているそうなので、もしかしたらその人たちの仕事かもしれません。これ以上崩落が進んだら、ここはもう通れなくなるかもしれません。

先に進むと、ここはちょっと高台のようになっています。そのため水没を免れているようで、木々は立ち枯れになっていません。
しかし、ここで恐ろしいものが・・・

これ、血ですよね・・・
血が出ている「何か」を「誰か」が引きずったあとですよね・・・
しかも赤いから、まだ新しいですよね・・・
旧国道452号は上り坂になっていて、その先が見えません。そこにヒグマが少しでも見えたら引き返そうと誓って恐る恐る覗いたら誰もいなかったので、再びビビりながら探訪を継続。

今もしっかり姿を残す2つの橋

大夕張の中でも最もダムに近い地区、つまり最も水没している地区が、かつての明石町です。
先ほどの「血のようなもの」にビビりながら前に進むと、旧道が高くなっている部分から明石町が見えてきました。上に架かっている大きな橋は、今の白銀橋です。その先には水没した旧白銀橋があるんですが、何と今の白銀橋もその先の夕張岳で大きな崩落があるらしく、橋は通行止めになっています。

上から大夕張を見たいと思って(ヒグマの確認も兼ねて)、今の白銀橋に行ったら、こんな看板とともに通行止めになっていました。

何となくですが、このまま今の白銀橋も通行止めのまま放置されてしまうような気も。
なお、この白銀橋が近づいてくると旧国道452号が立派な道路であったことを思わせる風景になります。

この道路も渇水期以外はほぼ水没します。左に見えている木が枯れているので、おそらく右にある土手の上付近まで水没するものと思われます。
まだまだ使えそうな道路ですが、この先には橋もあります。

クルマが通っても落ちそうにありませんし、橋の欄干もまだ壊れずに残っています。
右側にはもうひとつ橋がありますが、これは三菱大夕張鉄道が通っていた鉄橋です。
この旧国道452号となっている橋は、「明石橋」といいます。

しっかり銘板が残っています。
そして橋ができたのは、昭和27年!

2023年の時点で、なんと81年前にできた橋です。さすがに何度も架け替えをしているとは思いますが、そんな橋がダムの底に沈んでも姿を留めていることに驚愕しました。「メンテナンスしてない橋だけに、徒歩でも歩いて大丈夫?」との不安を全く感じないほど、しっかりとしています。
それでは気になるもうひとつの橋、三菱大夕張鉄道の鉄橋も見てみましょう。

ここに蒸気機関車が貨車や客車を引っ張りながら走っていたと思うと、なかなか感慨深いです。もうサビついてますし、今同じことをしたら危なそうにも見えますが、それでも当時の姿を今に留めているあたりはさすがです。
この鉄橋の表面はどうなってるのだろう?それが気になったので、藪をかき分けて見に行ってみました。

こんな細い鉄橋の上を鉄道が走ってたと思うと何だか怖いですが、今もこの上を歩けそうな気はします。横に落ちたらシャレにならないので絶対にしませんがw
1年のうち大半は水没しているはずですが、これだけのサビで済んでいることに驚きです。
この鉄橋の後ろ側、かつて線路があったところも見てみました。

もう線路はないので、何となく線路があったっぽい場所が残るのみです。ここを大量の石炭や乗客を載せた鉄道が走ってたんですねぇ。
今度は逆に、鉄橋側から明石橋を見てみます。

今もしっかりしていて、崩れそうな気配は全くありません。大夕張はどんどん自然に還りつつあると言われていますが、ここは最後までその名残を残してくれるかもしれません。

最も深く沈んだ明石町

ここからは、かつての明石町に入っていきます。最も深く沈んだ町だけに、道路など遺構の損傷も大きくなってきます。それだけ膨大な水のエネルギーに晒されているということです。

このように、ガードレールが大きく損傷しています。津波に襲われた被災地のような風景ですが、ここは災害の現場ではなく、ダムに沈んだ町です。
普段はダムの底なので、流木や土砂なども道路に攻めてきています。

この程度ならまだクルマも走れるかなと思えますが、この先は道路としてのテイをなしていないので、徒歩以外では前に進めません。

シューパロ湖の見学イベントでは流木の配布があったそうですが、これだけたくさんあれば流木の入手に困ることはまずないでしょう。右を見るとかなり斜面の上のほうまで流木があるので、そのあたりまで水没することが分かります。
この風景を見ても、すでに私が歩いている場所は完全にダムの底で、水面がかなり上であることが分かります。

ヒグマにビビりながら入った大夕張ですが、このあたりから荒涼とした風景に恐怖を感じ始めました。
かつては栄えた人間の町ですが、今はダムの底。もう人間が入ってはいけない場所に足を踏み入れている・・・そんな感覚になりました。
色んな恐怖に押し潰されそうになりますが、明石町まで来たらゴールはもうすぐです。

いよいよゴール地点、「沈みゆく道路」

この大夕張探訪での目的地は、旧国道452号が水没する地点「沈みゆく道路」です。ネットでこの風景に出会った時はこの世の終わりのような風景だと感じましたが、実際はどうなのでしょうか。いよいよそのゴール地点が近づいてきました。

分かりますか?
道路の先がなくなっています。その先は水です。ゴール地点は、もう目の前です。

先ほど見えていた道路だけでなく、その横にも「沈みゆく道路」があります。
この道も途中から水没していますが、街路樹と思われる木が整然と並んで立ち枯れになっています。この道はおそらく旧白銀橋につながっていると思われます。なぜなら、この街路樹に挟まれた道の先に旧白銀橋のアーチ部分が少し見えているからです。

右側に並んでいる街路樹の奥に、少しアーチ部分が見えていますね。
そこをアップにしてみましょう。

普段はほぼ水没しているそうですが、やはり渇水期は水面上に大きくその姿を現しています。
この旧白銀橋も、おそらく水の中ではしっかりと橋の形を保っていると思われます。しっかりと作られている橋だということですね。
それでは、いよいよゴールである旧国道452号が沈んでいく地点に向かいましょう。

手前には、カーブミラーがあります。若干ヘコんでいますが、今でもそのまま使えそうです。
そしてその先は、もう道路が水没しています。
もっと近づいてみましょう。

さらに近づきます。

先ほどからの写真では路面が泥だらけで、それが乾いた状態になっています。つまり、このあたりは水没していることが大半で、ダムの底に溜まる泥がこのあたりにも溜まっているということです。
ガードレールの傾きを見ると、ここがかなりの下り坂になっていることが想像できます。この地形ゆえに、ダムに沈んだのでしょう。
これにて、今回のシューパロ湖に沈んだ大夕張の探訪は目的達成です。

普段の水面から見るとダムの深さが分かる

「沈みゆく道路」の地点は、渇水期だけ姿を現す大夕張の中でも最も深い場所です。
普段はどのあたりが水面になるのか、少し高いところに登って確認してみました。

ここはかつて線路があった場所です。
旧国道452号から見るとかなり高いところにありますが、ここもガードレールが大破して流木だらけになっているので、ここまで水没することは間違いなさそうです。
先ほど私が歩いていたところは、普段は完全にダムの底です。
さらに、もっと高いところからシューパロ湖を眺めてみましょう。現在の国道452号は当然ながら絶対に水没しない高さなので、シューパロ湖を一望できます。

「沈みゆく道路」の部分と、アーチ部分だけ見えている旧白銀橋がよく分かります。そして左側の高架道路が現在の国道452号なので、かなりの高低差であることが分かります。
手前にも立ち枯れになった木が整然と並んでいるので、ここに旧国道452号が走っているものと思われます。

総括

かつての大夕張を徒歩で探訪したところ、トータルで10km以上歩きました。さすが北海道、ダムに沈んだ町の規模も規格外です。2万人以上が生活していた炭鉱都市なので、少なくとも数千軒以上の家があったでしょうし、商店や学校、会社などもあったことを考えると、それを徒歩で回るのは相当な距離になって当然です。
ヒグマには会わなかったものの、例の血痕や明らかに熊が歩いたと思われる獣道など、ヒグマの痕跡らしきものは随所にありました。人がいなくなった大夕張はすでにヒグマをはじめとする野生動物のテリトリーであり、もはや人が入ってはいけない場所なのかもしれません。ヒグマだけではない、得体の知れない恐怖感は、人を寄せ付けないようにする「何か」のせいなのかも、なんて思いも去来する探訪でした。
明石町の荒れっぷりを見ると、水のエネルギーは膨大です。どんどん大夕張は姿を変えて、自然に還っていくことでしょう。
シューパロ湖を安全に眺められるスポットということで、眺望公園にピンを刺しました。

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